「心と意識?」って同じじゃない?
そう思われる人も多いでしょう。心も意識も現在の科学ではその実体を明らかにする術を持ち合わせていません。
が、しかし、心や意識の実体を証明することができないからと言って、心や意識の存在を否定することは出来ないのも事実です。
心と意識の関係については、人間の観念世界や信仰(宗教)の領域にも属する深いものなので、それぞれの心や意識の中にイメージしたものがあると思いますので、ここでは「ひとつの捉え方」として説明するに留めます

上図は、心と意識の関係性とその連携を図式化したものです。
ブルーの楕円で示した部分が肉体。その中心に心を現しました(これが絶対ではありません。あくまで意識世界から見た場合を想定しています)
思考や記憶、創造、計算をはじめ、五感を通じて「見る・聞く・触れる・嗅ぐ・味わう」と言った情報(これは一種の電気的な信号です)を感じとることが出来ます。
五感を通じて感じ取るこれらの情報は、生まれたときから「今現在」まで、一時も途切れることなく「あなた」の脳にインプットされ、データとして記憶されています。
五感を通じて入ってくる情報=電気信号は、感覚的に心地よいものと、そうでないものとにわかれます。この選別は、二種類あって本能的に心地いいもの(母親に抱かれて眠る心地よさなど)と、経験的に記憶していくもの(ほめられる・けなされる)とにわかれてデータベース化されていきます
乳飲み子のときに、母親の愛情に包まれながら母の胸に抱かれて眠る心地よさを味わいながら育った人間は、情緒的に穏やかな傾向性が備わります。それに対して、本能が欲する心地よさを乳飲み子の時に味わえなかった場合は、その心地よさがわからないので、成長してから他者に対してその心地よさを与えることが困難な場合や、そもそもその心地よさを知らないので問題が生じても自覚できない場合が見受けられるのです。(この捉え方には善悪の視点は含みません)
自分の意識世界(見える世界・自分の外在世界で起こる現象世界)で起こる事象は、五感を通して意化できるのですが、その現象を「どう」捉えるかは、その人の心と意識(記憶や思考)の関係性によって天地の差が現れます。
疑い深い人や、素直になれない人は、他者が自分に対して好意的な言動を現しても、「何か魂胆があるんじゃないだろうか・・・?」とか、「これを受け入れてしまうと後々借りが出来てします・・・」などなど
それに対して足りることを知るまともな親の元でタオヤカに育った人は、他者の自分に対する好意的な言動に対しては、素直な気持ちで受け入れることができ、感謝の気持ちが自ずと湧き上がってくるものです
一事が万事で、この例えは正反すべてのパターンに当てはまるので、例を挙げるとキリがないのですが、「人の性格は死んでも治らない・・・」の本意は、人の性格は、この世に生を受けたときから連綿と続く人生のなかで積み重ねられてきた意識(記憶や思考)と心の関係性によって形成されるものであり、端的に言えば「性格」は「生まれ育ち」と「環境」の大きな影響を受けると断言しても大きく間違うことはないでしょう。
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